宇梶剛士さんといえば、爽やかな笑顔で謙虚かつ温厚なイメージがある俳優さんですよね。
そんな宇梶剛士さんですが、実は衝撃的な過去と多くの伝説を持っている方だったんです。
今回は、宇梶剛士さんの若い頃のエピソードを、当時の写真と一緒にまとめていきたいと思います!
宇梶剛士のプロフィール
名前 : 宇梶剛士(うかじ たかし)
生年月日 : 1962年8月15日
出身地 : 東京都新宿区
身長 : 188cm
血液型 : B型
職業 : 俳優、タレント、レポーター
事務所 : オフィス33
活動期間 : 1981年~
【画像】宇梶剛士の若い頃がヤバすぎる!
さっそく宇梶剛士さんの若かりし頃のエピソードを写真とともに見ていきましょう!
高校で少年鑑別所に入所
1962年、東京都新宿区にある「東京都立大久保病院」で生まれた宇梶剛士さん。
出生時は身長57cm、体重が5,000gもあり、東京都の健康優良児の表彰を受けているんだとか。
高校は「拓殖大学第一高等学校」に入学。
当時から身長がすでに180cm近くの大柄な体型。
さらには実力もあったため、「将来の有望選手」としてプロ野球のスカウトマンが宇梶さんを見に何度か足を運びに来ていました。
しかし、部活内での酷いいじめやシゴキを告発したところ、逆に学校側からの隠蔽にあってしまいます。
2ヶ月間、野球をすることを許されずグラウンドの端に監視付きで立たされていましたが、担任や他の大人は誰一人声をかけてこなかったそうです。
この体験が原因で、大人を信用できなくなった宇梶剛士さん。
理不尽な大人たちの対応に怒りが収まらなかったことがきっかけとなり、学校外で暴力事件を起こしてしまいます。
そして逮捕の末、少年鑑別所に入所することに。
※少年鑑別所と少年院の違い
少年鑑別所:これから少年審判を控えている少年について鑑別を行うために収容する施設。
少年院:少年審判の結果を受けて収容される施設。
暴走族の総長に!
少年鑑別所を出所後、高校を退学。宇梶さんは行き場のない怒りや悔しさから、荒れた日々を送るようになります。
その後、日本最大級の暴走族「ブラックエンペラー」のメンバーとなり、17歳の時には7代目総長の座に就きます。
総長時代には2000人ものメンバーを率いていたと言われており、傘下まで入れると1万人にもなったのだとか!
数々の伝説が今も語り継がれています。
- 教習所でバカにしてきたヤンキーをシバき毎日送迎させる
- 1人で1000人の暴走族を相手に勝利する
- ヤ○ザに真剣で脅されても「やってみろ」とはねのける など
これらのようなエピソードから、宇梶剛士さんの名は東京多摩地区を中心に広がっていきます。
当時を知るタレントのヒロミさんは、宇梶さんのことを「僕らがガキだったころ、とんでもなく有名だった人」と述べていて、ゲッツ板谷さんは「伝説的な存在」と発言されています。
本当にその界隈ではとても有名だったんですね。
当時の写真も残されています。
現在のイメージからは想像ができない姿ですね。
そして、「ブラックエンペラー」の総長として抗争に明け暮れていた宇梶さんは、ついに18歳の頃に暴走族同士の抗争で再び逮捕され、少年院送りとなりました。
役者の道へ
宇梶さんは、少年院での生活において改心。
その時に読んだチャーリー・チャップリンの自伝に感銘を受け、役者を志すようになります。
母親の紹介によって歌手の錦野旦さんの事務所を手伝い始め、同事務所に通ううちに役者の菅原文太と出会います。
その縁がきっかけとなり、1981年に菅原文太さん主演のドラマ『警視庁殺人課』(テレビ朝日)に出演し、俳優デビュー。
デビュー以来、数々の映画やドラマ作品・舞台に出演し、バイプレーヤーとして活躍されています。
まとめ
いかがでしたでしょうか?
テレビではとても温厚で笑顔を絶やさない紳士なイメージを持つ宇梶剛士さん。
こんな過去があったことに驚きですね。
最後までお読みいただきありがとうございました✿